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以前、メールでお送りした内容ですが、少し追記、改定しました。
<採点法に関して。>
たびたびのルール改定(改正とは言わない)が、あまりにも根拠が不透明で、
教える側も、教わる側も、そして見て楽しむ側の人間もが混乱し困惑している現状
を改善するため、ひとつの方法論として、
技に対する基礎点、加点の設定を、科学的、数学的根拠に基づいて明確に算出すべきだと考えます。
例えば、最高難度の技は、公式試合での成功率から算出する。
成功率は年々進化するものであるので、数年ごとに算出し直す。
難易度の格差(レベル)の設定と同時に、それに加点減点が加わった場合でも、
その前後のレベルの基礎点に影響が出ない(超えない)ように設定する。
たとえば、後半のジャンプへの加点が1・1倍にしかならないのに、
簡単な技にでも2や3の加点が付けられることはあまりにもバランスが取れていません。
仮にひとつ正せば、あれもこれも、とあちこちよりバランスが崩れて収集がつかなくなると思います。
ゆえに、
これを厳密に算出するのは、スケート関係者だけでは難しいと考えるためと、
どうやって選ばれたかわからない「関係者」が、談合によって根拠不明な決定がなされるのを防ぐため、
スケート関係者以外の第三者的立場の人間で、数学的な根拠と数値的なバランス感覚に秀でた
「専門家」の意見を導入すべきだと考えます。
すでに、あらゆるスポーツにおいて、科学的な研究は当たり前になっているため、
科学的数学的データを使ってできないことはないと考えます。
専門家が出した数値に対して、現場の人間の意見を考慮に入れて決定すれば良いと思います。
世界選手権予選通過者(上位24名?)の過去数年分のデータがあれば可能だと思います。
数字のことは、数学者に任せるのが常套でしょう。
<アクセルジャンプと他のジャンプの認定範囲を分ける>
ジャンプの回転不足を判定する際の認定範囲の問題で、
ジャンプのコーチをしている専門家曰く、アクセルジャンプの場合、他のジャンプと違って、完全に回りきって
降りてそのまま滑っていくのは、物理的に不可能なんだそうです。
完全に回りきる少し手前で着氷しなければ必ず転ぶそうです。
つまり、技術力に関係なく、「認定範囲」幅が他のジャンプに比べて著しく狭くなるのです。
誰かの言葉を借りると、「針の穴に通すような」極狭い範囲を狙って確実に降りてこなければ「認定」されないのです。
ただ、転ばずに降りてくるだけでも至難の技を、さらに至難な苦行を強いられているこの現状は改善されなければなりません。
つまり、他のジャンプより「認定範囲」の幅を広くとるべきなのです。
タラソワコーチが言っていた、「現場の指導者の声が届いていない」ようなルール改正はこのような不条理を生むばかりです。
<ショートプログラムは、テクニック重視の採点方式にする。>
フリープログラムでは、テクニックと演技構成(芸術性)をバランスよく「作品」として
採点することは、見る側にとっても大切なことだが、
ショートプログラムでも同じようなものを要求されては、選手には負担とリスクが大きすぎるので、
ショートPでは、演技構成に気を配らずとも自分の技のバリエーションを披露でき
自分の最高難度の技に挑戦しやすくするために、技術点重視のプログラムを作れるようにするとよいと思う。
一度失敗しても、時間内に再チャレンジできるようにすれば、3Aもクワドももっと増えるような気がします。
その際、3曲くらいの共通の課題曲から選んで演技すれば、公平さが確保されると思います。
ピアノやバレエのコンクールのように、同じ曲をどのように構成してくるか比較する楽しみもできると思います。
その際、全く同一のジャンプを2度以上跳んではいけないとか、必要最低限以上のジャンプを跳ばなければならないとか、(アクセルジャンプを入れるとか、組み合わせ違う2種類以上のコンビネーションジャンプを入れるとか・・・)いろいろ細かい規定が必要だと思いますが・・・。
<採点法に関して。>
たびたびのルール改定(改正とは言わない)が、あまりにも根拠が不透明で、
教える側も、教わる側も、そして見て楽しむ側の人間もが混乱し困惑している現状
を改善するため、ひとつの方法論として、
技に対する基礎点、加点の設定を、科学的、数学的根拠に基づいて明確に算出すべきだと考えます。
例えば、最高難度の技は、公式試合での成功率から算出する。
成功率は年々進化するものであるので、数年ごとに算出し直す。
難易度の格差(レベル)の設定と同時に、それに加点減点が加わった場合でも、
その前後のレベルの基礎点に影響が出ない(超えない)ように設定する。
たとえば、後半のジャンプへの加点が1・1倍にしかならないのに、
簡単な技にでも2や3の加点が付けられることはあまりにもバランスが取れていません。
仮にひとつ正せば、あれもこれも、とあちこちよりバランスが崩れて収集がつかなくなると思います。
ゆえに、
これを厳密に算出するのは、スケート関係者だけでは難しいと考えるためと、
どうやって選ばれたかわからない「関係者」が、談合によって根拠不明な決定がなされるのを防ぐため、
スケート関係者以外の第三者的立場の人間で、数学的な根拠と数値的なバランス感覚に秀でた
「専門家」の意見を導入すべきだと考えます。
すでに、あらゆるスポーツにおいて、科学的な研究は当たり前になっているため、
科学的数学的データを使ってできないことはないと考えます。
専門家が出した数値に対して、現場の人間の意見を考慮に入れて決定すれば良いと思います。
世界選手権予選通過者(上位24名?)の過去数年分のデータがあれば可能だと思います。
数字のことは、数学者に任せるのが常套でしょう。
<アクセルジャンプと他のジャンプの認定範囲を分ける>
ジャンプの回転不足を判定する際の認定範囲の問題で、
ジャンプのコーチをしている専門家曰く、アクセルジャンプの場合、他のジャンプと違って、完全に回りきって
降りてそのまま滑っていくのは、物理的に不可能なんだそうです。
完全に回りきる少し手前で着氷しなければ必ず転ぶそうです。
つまり、技術力に関係なく、「認定範囲」幅が他のジャンプに比べて著しく狭くなるのです。
誰かの言葉を借りると、「針の穴に通すような」極狭い範囲を狙って確実に降りてこなければ「認定」されないのです。
ただ、転ばずに降りてくるだけでも至難の技を、さらに至難な苦行を強いられているこの現状は改善されなければなりません。
つまり、他のジャンプより「認定範囲」の幅を広くとるべきなのです。
タラソワコーチが言っていた、「現場の指導者の声が届いていない」ようなルール改正はこのような不条理を生むばかりです。
<ショートプログラムは、テクニック重視の採点方式にする。>
フリープログラムでは、テクニックと演技構成(芸術性)をバランスよく「作品」として
採点することは、見る側にとっても大切なことだが、
ショートプログラムでも同じようなものを要求されては、選手には負担とリスクが大きすぎるので、
ショートPでは、演技構成に気を配らずとも自分の技のバリエーションを披露でき
自分の最高難度の技に挑戦しやすくするために、技術点重視のプログラムを作れるようにするとよいと思う。
一度失敗しても、時間内に再チャレンジできるようにすれば、3Aもクワドももっと増えるような気がします。
その際、3曲くらいの共通の課題曲から選んで演技すれば、公平さが確保されると思います。
ピアノやバレエのコンクールのように、同じ曲をどのように構成してくるか比較する楽しみもできると思います。
その際、全く同一のジャンプを2度以上跳んではいけないとか、必要最低限以上のジャンプを跳ばなければならないとか、(アクセルジャンプを入れるとか、組み合わせ違う2種類以上のコンビネーションジャンプを入れるとか・・・)いろいろ細かい規定が必要だと思いますが・・・。
サマランチIOC元会長が亡くなりましたね。
訃報の経歴を見て、改めて、「すべての元凶はこいつだ!」と思いました。
私が学生の頃、「オリンピックは参加することに意義がある」って習いました。それって、オリンピック憲章じゃありませんでした?
それが、いまやオリンピックは化け物のようにショービジネス化され、巨額な放送権や特権などをめぐり、もはやスポーツのことや選手のことよりお金儲けの亡者の祭典と化してしまっている・・・。
21年間、しかも81歳の老獪な独裁者がトップにいては、ほとんど一党独裁政権の無法国家と同じではないか?
正直そこまで腐敗していようとは思わず、IOCにメール等で直談判を試みようとしていた人もいたと聞きましたが、これではとても叶わないでしょう。なにしろ、トップ自らが確信犯だったかもしれないのだから。
国母選手の身だしなみに言及する良識があったなら、なぜキムヨナのアクセサリーの憲章違反問題には無関心だったのか?
もし、これがキムヨナじゃなかったら、今回金メダルの予定国以外の、とくに日本選手がやったとしたら、必ず処断され即メダルは剥奪されたんじゃないかと思います。
サマランチ氏の死亡で少しは浄化されることを期待したいところですが、次期会長は自らが推薦した息のかかったロゲ氏らしい。これではただマフィアが世代交代したのと変わらない。このまま暗黒時代が続くのでしょうか?
オリンピックで男女とも最高の3人の枠を持ち、その上、6人全員が入賞、うち二人がメダルを取得している日本のスケート協会が、世界スケート連盟の理事にもなれない不可思議な現状・・・。
スポーツの振興とかフィギュアの発展とかいうのは、もはや大儀名分にもならないくらいの腐敗ぶり。
この現状を打破し浄化してくれる人物はいないのでしょうか?
権力に対抗するには、より強い権力が必要なのでしょうか?
これでは、健全なスポーツどころか、乱世と変わりません。
それに、今までは一般市民の預かり知らぬところで行われていたものが、今回の不正採点疑惑のおかげで一般人の目にも留まり、ネット情報によって一気に白日の下に
晒されてきました。
これによって、新しい目が開けたといっていいのですが、気付かなければならなかったことではありますが、同時に、以前のように純粋に自然体でフィギュアを見ることができなくなってしまいました。
フィギュアに楽しみや喜びを見い出していたファンから不信を買うことが、憧れていた世界に汚いものを見せることが、将来の不利益に繋がるとは考えないのでしょうか?
プロスポーツの世界にならまだ理解できますが、これはれっきとしたアマチュアスポーツなのですから、選手を国が支援するのは当然として、国や個人の利権のために選手を利用したり、勝たせたい選手以外をあからさまに貶めるような不正悪行をこのまま放置させてはいけません。
ここまで、一般人に明るみになっていることをもっと広く知らしめるためにも、日本にとどまらず、世界的に大々的に一般フィギュアファンの声を伝えて欲しいと思います。
訃報の経歴を見て、改めて、「すべての元凶はこいつだ!」と思いました。
私が学生の頃、「オリンピックは参加することに意義がある」って習いました。それって、オリンピック憲章じゃありませんでした?
それが、いまやオリンピックは化け物のようにショービジネス化され、巨額な放送権や特権などをめぐり、もはやスポーツのことや選手のことよりお金儲けの亡者の祭典と化してしまっている・・・。
21年間、しかも81歳の老獪な独裁者がトップにいては、ほとんど一党独裁政権の無法国家と同じではないか?
正直そこまで腐敗していようとは思わず、IOCにメール等で直談判を試みようとしていた人もいたと聞きましたが、これではとても叶わないでしょう。なにしろ、トップ自らが確信犯だったかもしれないのだから。
国母選手の身だしなみに言及する良識があったなら、なぜキムヨナのアクセサリーの憲章違反問題には無関心だったのか?
もし、これがキムヨナじゃなかったら、今回金メダルの予定国以外の、とくに日本選手がやったとしたら、必ず処断され即メダルは剥奪されたんじゃないかと思います。
サマランチ氏の死亡で少しは浄化されることを期待したいところですが、次期会長は自らが推薦した息のかかったロゲ氏らしい。これではただマフィアが世代交代したのと変わらない。このまま暗黒時代が続くのでしょうか?
オリンピックで男女とも最高の3人の枠を持ち、その上、6人全員が入賞、うち二人がメダルを取得している日本のスケート協会が、世界スケート連盟の理事にもなれない不可思議な現状・・・。
スポーツの振興とかフィギュアの発展とかいうのは、もはや大儀名分にもならないくらいの腐敗ぶり。
この現状を打破し浄化してくれる人物はいないのでしょうか?
権力に対抗するには、より強い権力が必要なのでしょうか?
これでは、健全なスポーツどころか、乱世と変わりません。
それに、今までは一般市民の預かり知らぬところで行われていたものが、今回の不正採点疑惑のおかげで一般人の目にも留まり、ネット情報によって一気に白日の下に
晒されてきました。
これによって、新しい目が開けたといっていいのですが、気付かなければならなかったことではありますが、同時に、以前のように純粋に自然体でフィギュアを見ることができなくなってしまいました。
フィギュアに楽しみや喜びを見い出していたファンから不信を買うことが、憧れていた世界に汚いものを見せることが、将来の不利益に繋がるとは考えないのでしょうか?
プロスポーツの世界にならまだ理解できますが、これはれっきとしたアマチュアスポーツなのですから、選手を国が支援するのは当然として、国や個人の利権のために選手を利用したり、勝たせたい選手以外をあからさまに貶めるような不正悪行をこのまま放置させてはいけません。
ここまで、一般人に明るみになっていることをもっと広く知らしめるためにも、日本にとどまらず、世界的に大々的に一般フィギュアファンの声を伝えて欲しいと思います。
既出かもしれませんが、、ジャッジのソニア・ビアンケッティさんが
今回の世界選手権でのジャッジングへの疑問について、レポートを書かれてます。
http://t-asagao.com/
こちらのサイトの
100414:ドナっちさん監修の「ソニア・ビアンケッティの最新レポート」を掲載
の記事をクリックするとご覧になれます。
自身の立場もある国際ジャッジの方が、ここまで言及されてるという事は、
相当波紋が広がってるのではないでしょうか。
今回の世界選手権でのジャッジングへの疑問について、レポートを書かれてます。
http://t-asagao.com/
こちらのサイトの
100414:ドナっちさん監修の「ソニア・ビアンケッティの最新レポート」を掲載
の記事をクリックするとご覧になれます。
自身の立場もある国際ジャッジの方が、ここまで言及されてるという事は、
相当波紋が広がってるのではないでしょうか。
私も「たつ」さんと同じことを感じたので書き込みします。
「シロウトにはわからない」という方向性は、スポーツ競技としてどうなのか疑問に思います。オリンピックの種目としてふさわしいのか、と。
他の競技では瞬き一瞬の差で勝敗は決まり、あるいは「人類が回せるのはここまで」という技で圧勝しています。シロウトでも極限に挑戦する身体能力の凄さを感じます。しかし、フィギュアは……?
例えば、NHKスペシャルの「ミラクルボディー」に、マイケル・フェルプスやシモン・アマンと並んで取り上げられるのが「ジュベールの4回転ジャンプ」であるように、誰もが客観的に、スポーツの要素として納得できるのは、フィギュアにおいてはやはり高難度のジャンプなのではないかと思います。
偉い人がこう言っている、ということなら、ストイコやサーシャがプルシェンコが金メダルだったと言っているのはどうなるのでしょう。誰かがこう言っている、という評価はあくまでも参考意見としてのみ取り入れたいと個人的には考えます。
現行採点が必ずしも悪いとは思いません。ただ、高難度のジャンプがあまりにもないがしろにされ、ジャッジの裁量でどうとでもなりそうなGOEや演技構成点で圧倒的な差がついているのを見ると、今後誰が勝っても素直に楽しめなくなるように思います。
日本の報道で、キム選手が4年前からルールにあわせてやってきた結果の高得点で、浅田選手はそれをやっていなかったように言われていますが、ずっと見ていてそれは違うと思います。
トリノ5輪だって新ルールでした。少なくともちょうど一年前の世界選手権、それまでとほとんど変わらないキム選手の得点がある日突然爆裂するまで、私は普通に楽しんで見ていました。エッジルールの厳密化や回転不足、ちまちま変わる採点基準に安藤選手や浅田選手をはじめ、多くの選手が苦しめられたことは、すでに多くの人が指摘していると思うので詳しくは書きません。そうしたことを全くふまえず、あまりにも「自国に厳しく他国(それもある特定の選手にのみ)に甘い」報道には、自国に厳しくということではすませられず、報道の倫理として非常に問題を感じます。
さて、私が今シーズンすばらしいと思ったのは、男子では全米選手権でのジェレミー・アボット選手のフリーです。冒頭に美しいクワドが一本、後は土怒濤のつなぎ技で、顔芸など挟む余裕はありません。女子では世界選手権での浅田真央選手のフリーです。「キレイだね」の一言で終わるのではなく、「何なんだろう、これ」という感動でした。誰もができない大技を2本決めた上にあのつなぎ技の美しさ、誰もができることを上手にやるのとは次元が違いすぎました。
どちらも濃密でストイックなプログラム、こうした演技に銀河点が出るなら新ルールにも納得します。
「シロウトにはわからない」という方向性は、スポーツ競技としてどうなのか疑問に思います。オリンピックの種目としてふさわしいのか、と。
他の競技では瞬き一瞬の差で勝敗は決まり、あるいは「人類が回せるのはここまで」という技で圧勝しています。シロウトでも極限に挑戦する身体能力の凄さを感じます。しかし、フィギュアは……?
例えば、NHKスペシャルの「ミラクルボディー」に、マイケル・フェルプスやシモン・アマンと並んで取り上げられるのが「ジュベールの4回転ジャンプ」であるように、誰もが客観的に、スポーツの要素として納得できるのは、フィギュアにおいてはやはり高難度のジャンプなのではないかと思います。
偉い人がこう言っている、ということなら、ストイコやサーシャがプルシェンコが金メダルだったと言っているのはどうなるのでしょう。誰かがこう言っている、という評価はあくまでも参考意見としてのみ取り入れたいと個人的には考えます。
現行採点が必ずしも悪いとは思いません。ただ、高難度のジャンプがあまりにもないがしろにされ、ジャッジの裁量でどうとでもなりそうなGOEや演技構成点で圧倒的な差がついているのを見ると、今後誰が勝っても素直に楽しめなくなるように思います。
日本の報道で、キム選手が4年前からルールにあわせてやってきた結果の高得点で、浅田選手はそれをやっていなかったように言われていますが、ずっと見ていてそれは違うと思います。
トリノ5輪だって新ルールでした。少なくともちょうど一年前の世界選手権、それまでとほとんど変わらないキム選手の得点がある日突然爆裂するまで、私は普通に楽しんで見ていました。エッジルールの厳密化や回転不足、ちまちま変わる採点基準に安藤選手や浅田選手をはじめ、多くの選手が苦しめられたことは、すでに多くの人が指摘していると思うので詳しくは書きません。そうしたことを全くふまえず、あまりにも「自国に厳しく他国(それもある特定の選手にのみ)に甘い」報道には、自国に厳しくということではすませられず、報道の倫理として非常に問題を感じます。
さて、私が今シーズンすばらしいと思ったのは、男子では全米選手権でのジェレミー・アボット選手のフリーです。冒頭に美しいクワドが一本、後は土怒濤のつなぎ技で、顔芸など挟む余裕はありません。女子では世界選手権での浅田真央選手のフリーです。「キレイだね」の一言で終わるのではなく、「何なんだろう、これ」という感動でした。誰もができない大技を2本決めた上にあのつなぎ技の美しさ、誰もができることを上手にやるのとは次元が違いすぎました。
どちらも濃密でストイックなプログラム、こうした演技に銀河点が出るなら新ルールにも納得します。
この掲示板にははじめて書き込みします。
以下は1つのまとまった意見というより、
掲示板でのやり取りの中で少し疑問を感じた点についての書き込みです。
日本以外の国では「自国に甘い」のは至極当たり前のことで、
誰でも堂々とやっていますが、日本人は極端にそれを嫌いますよね。
おそらく「他国からどう見られるか」をやたら気にするからでしょう。
でもそれをし過ぎるから、いつも外国に対して及び腰になっていると思います。
女子の方で抗議する際に「自国に甘い」と思われないために、
男子の方の高橋選手が高すぎると言っておくべき、という声もありました。
戦略的にはそういうのもアリなのかも知れませんが、
私は必要ないと思っています。
でも高橋選手について、「自国で叩かれすぎ。。。」は大袈裟だと思います。
高橋選手の快挙を素直に賞賛している声が大多数ですから。
それから、プルシェンコ選手がPCSのような「格付け点」の恩恵を
受けやすい存在であることは、彼自身も認めていると思います。
というのも、彼がトリノ後にアマ現役を休んでいる時にテレビ観戦などをしていて、
「実績のない選手が素晴らしい演技をしても点数が低すぎる」
ことに疑問を感じたそうですから(それは旧採点でも大差はないと思われます)。
プルシェンコが満身創痍の体に鞭打ってわざわざ競技に復帰したのは、
「今のフィギュア界に一石を投じるため」でしょうけど、
その中に「新採点への抗議」が大きな割合を占めることは確かだと思いますが、
それ以外にも「格付け点も必要ない」、つまり自分に不利になり得る主張もしていると思われます。
あと新採点の議論については、各選手の演技の個性を奪ったことも問題ですし、
また結果的に高難度ジャンプに挑戦することが損になった点も問題だと思います。
スケーティングの上手さやミスのない演技はプロのショーで楽しむ方がいいと思いますが、
アマ競技ならではの良さは、失敗の可能性があってもアスリートとしての限界に挑戦することだと思います。
それがなければ、アマ競技の存在意義は薄いのではないでしょうか。
最後に、評価の正当性を主張するには、評価基準の可視化が重要です。
ですから評価への意見を言う人達に、「詳しく勉強しろ」というのは本末転倒だと思います。
(もちろん、詳しく勉強した上で批判する人がいたら、それも歓迎されるべきですが)
評価が正当であることを証明するのは、評価した側の責任です。資料も評価した側に存在する訳で。
見ている側はそれに疑問を呈するだけで十分なはずです。
以下は1つのまとまった意見というより、
掲示板でのやり取りの中で少し疑問を感じた点についての書き込みです。
日本以外の国では「自国に甘い」のは至極当たり前のことで、
誰でも堂々とやっていますが、日本人は極端にそれを嫌いますよね。
おそらく「他国からどう見られるか」をやたら気にするからでしょう。
でもそれをし過ぎるから、いつも外国に対して及び腰になっていると思います。
女子の方で抗議する際に「自国に甘い」と思われないために、
男子の方の高橋選手が高すぎると言っておくべき、という声もありました。
戦略的にはそういうのもアリなのかも知れませんが、
私は必要ないと思っています。
でも高橋選手について、「自国で叩かれすぎ。。。」は大袈裟だと思います。
高橋選手の快挙を素直に賞賛している声が大多数ですから。
それから、プルシェンコ選手がPCSのような「格付け点」の恩恵を
受けやすい存在であることは、彼自身も認めていると思います。
というのも、彼がトリノ後にアマ現役を休んでいる時にテレビ観戦などをしていて、
「実績のない選手が素晴らしい演技をしても点数が低すぎる」
ことに疑問を感じたそうですから(それは旧採点でも大差はないと思われます)。
プルシェンコが満身創痍の体に鞭打ってわざわざ競技に復帰したのは、
「今のフィギュア界に一石を投じるため」でしょうけど、
その中に「新採点への抗議」が大きな割合を占めることは確かだと思いますが、
それ以外にも「格付け点も必要ない」、つまり自分に不利になり得る主張もしていると思われます。
あと新採点の議論については、各選手の演技の個性を奪ったことも問題ですし、
また結果的に高難度ジャンプに挑戦することが損になった点も問題だと思います。
スケーティングの上手さやミスのない演技はプロのショーで楽しむ方がいいと思いますが、
アマ競技ならではの良さは、失敗の可能性があってもアスリートとしての限界に挑戦することだと思います。
それがなければ、アマ競技の存在意義は薄いのではないでしょうか。
最後に、評価の正当性を主張するには、評価基準の可視化が重要です。
ですから評価への意見を言う人達に、「詳しく勉強しろ」というのは本末転倒だと思います。
(もちろん、詳しく勉強した上で批判する人がいたら、それも歓迎されるべきですが)
評価が正当であることを証明するのは、評価した側の責任です。資料も評価した側に存在する訳で。
見ている側はそれに疑問を呈するだけで十分なはずです。
わたしの意見は、こちらでも紹介されていた素晴らしいブログに基づいたものばかりのため、金銀銅だけ(全競技を観戦できている男女シングルのみ)回答させていただきます。
編集者の方が参考にしたいと思ったブログさんがあったら是非連絡を取って貴重な意見を取り上げてください。すべての書き込みを読んでいないので重複しているかもしれませんが。
バンクーバーオリンピック
男子
金 エフゲニー・プルシェンコ(彼が一位!というよりも、一位の選手のPCSが不自然な為)
銀 エヴァン・ライサチェク(SP、LP揃えたことは素晴らしいので)
銅 髙橋大輔(SPは2位でもおかしくなかった!LPでも後半のジャンプをまとめ、PCSの得点も妥当)
女子
金 金 姸兒(回転不足見逃しやGOEの後押しがあったとはいえSP、LP共に3Lz-3Tをクリーンに降りたことは素晴らしい)
銀 浅田真央(ずば抜けて芸術的な演技に加え、ジャンプ構成、実行力を考え、1位に僅差で)
銅 ミライ・ナガス(SPの得点が低過ぎなければ文句なしの銅メダル。4位と僅差にはなったかもしれないが)
トリノ・ワールド
男子
金 髙橋大輔(SP、LP総合すると最も実行力があり、演技力は勿論最高だった)
銀 ブライアン・ジュベール(パトリック・チャンのSS以外のPCSに阻まれた感じ)
銅 パトリック・チャン(異常得点を除いても実行力で銅メダル)
女子
金 浅田真央(実質、敵が居なかったようなもの)
銀 安藤美姫(SPでコンビネーションが抜けたものの、カバーできる演技力だった。LPももっと評価されるべき)
銅 ミライ・ナガス(レピスト、コストナーと悩みますが。LPで崩れたとはいえ評価が低過ぎたので)
こんなんでよければ掲載可です。
編集者の方が参考にしたいと思ったブログさんがあったら是非連絡を取って貴重な意見を取り上げてください。すべての書き込みを読んでいないので重複しているかもしれませんが。
バンクーバーオリンピック
男子
金 エフゲニー・プルシェンコ(彼が一位!というよりも、一位の選手のPCSが不自然な為)
銀 エヴァン・ライサチェク(SP、LP揃えたことは素晴らしいので)
銅 髙橋大輔(SPは2位でもおかしくなかった!LPでも後半のジャンプをまとめ、PCSの得点も妥当)
女子
金 金 姸兒(回転不足見逃しやGOEの後押しがあったとはいえSP、LP共に3Lz-3Tをクリーンに降りたことは素晴らしい)
銀 浅田真央(ずば抜けて芸術的な演技に加え、ジャンプ構成、実行力を考え、1位に僅差で)
銅 ミライ・ナガス(SPの得点が低過ぎなければ文句なしの銅メダル。4位と僅差にはなったかもしれないが)
トリノ・ワールド
男子
金 髙橋大輔(SP、LP総合すると最も実行力があり、演技力は勿論最高だった)
銀 ブライアン・ジュベール(パトリック・チャンのSS以外のPCSに阻まれた感じ)
銅 パトリック・チャン(異常得点を除いても実行力で銅メダル)
女子
金 浅田真央(実質、敵が居なかったようなもの)
銀 安藤美姫(SPでコンビネーションが抜けたものの、カバーできる演技力だった。LPももっと評価されるべき)
銅 ミライ・ナガス(レピスト、コストナーと悩みますが。LPで崩れたとはいえ評価が低過ぎたので)
こんなんでよければ掲載可です。